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社会の「下流化」を踏まえた、成績の付け方についての一提案

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後輩は喜色満面であった。

「まあ、月40万は固いっすかねー」

先日、後輩が司法試験に受かったお祝いの席でのことだ。

社会の「下流化」とは、このことか

俺が思うに、一瞬周囲の全員が気持ちが少し引いたのではないかと思う。少なくとも俺は引いた。俺の月収よりはるかに高かったからだ。公務員の給料なんて、皆さんもだいたい想像がつくと思う。そういう人間から見ると、弁護士というのはずいぶん儲かる仕事なのだなと思った。それにしても空気の読めないやつだ。

下流社会 新たな階層集団の出現
三浦 展
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下流社会』という本をいま読んでいる。どうも一時期だいぶ話題になった本のようだ。この本から一節を引用しよう:

今後、日本人全体の15%くらいが、自分を単なる中流ではない、「中の上」と見なすようになっていくのではないか

目の前で喜色満面に酒を飲む青年は、まさにこれに該当するのではないか。そんなことを考えながら、冷酒をすすった。

教育の目的が失われた

この「下流社会」という問題は、実は教育と密接な関係がある。教育を受ける<目的>とは何か。かつては、それは簡単に表すことができたからだ。

中流になる

つまり年収7~800万円を目指し、白物家電を買いそろえ、中流車に家族で乗る。それが教育を受ける目的だった。だが現在は、著者三浦展の言葉を借りれば、

300万円でも自分にふさわしい暮らしができるならそれでいいという人が増えているのかも知れない

・・・というわけだ。つまり、教育はその<目的>(中流になること)を失ったのである。

目的喪失の影響

このこと事態はそう悪いことではない。年収がいくら減ろうとも、国民総生産がいくら減ろうとも、国民が全体として幸福であれば、それは良いことであろう。オセアニアの島々などはそういう環境なのではないだろうか。

だが、一部の富裕層だけが儲かるような不平等が進んでいるとしたら、それは問題である。それは社会的不平等感を生み、社会不安、暴動へとつながっていく。現在の米国のように、である。希望なくしては、人は生きていくことができない。

もし教育の<目的>が社会の安定化のためにあるのだとすれば、不平等感を促進するような教育をするべきではない。ではどのような教育をすべきだろうか?これについて、私の意見を述べよう。

教育の新しい目的とその具体策についての提案

人には誰しも良いところと悪いところがある。国民一人一人が自分の良いところ・悪いところを自覚し認め合って生きていくような社会が実現できれば、不平等 感は生まれないであろう。それは個性尊重社会と言い換えることもできる。単に収入で比較するのではなく、多様なライフスタイルのなかから自分にあったもの を選ぶことができる社会。そんな社会が実現可能なのかわからないが、教育の新しい<目的>として目指しても良いのではないか。

具体的にはどうしたらよいか。私案を述べさせてもらおう。学校での生徒の評価は、最終的には通知票の評定に尽きる。これを、

  • 現在の教科別5段階方式より も、
  • 全教科で合計何点と決めておいて、それを配分するようなやり方の方が良いのではないか。

普通に成績を付け、最後に正規化(合計点をそろえる)すればい いだけの話である。これだけでも生徒の意識はだいぶ違うのではないか。

「ああ俺は、数学が強いけど、社会が苦手なんだな」
「私は、国語と家庭科は得意だけど、理科と技術は苦手なんだ」
「俺は、英数国理社はぜんぶ苦手だけど、体育と技術は得意だぜ」

この評価から生まれるのは、自分という個性に対する理解であり、そもそも個性というものそのものの存在に気づくきっかけにもなる。高校入試の参考資料には 使えないかも知れないが、義務教育の大切な3年間くらい、こういう成績の付け方でも良いのではないかと思うのだが、どうだろうか。