

私はお金をぜんぜん持っていない貧乏人ですが、だからこそ都立現代美術館までサイクリングして2時間くらい同じ作品を見ると大変心が満たされます(たぶん変なやつだと思われています)。
「物理教育の未来を創造する」フィール・フィジックスの植田です。
お金と同様に技術も、解放にも束縛にもなります。
1930年4月6日早朝、ガンディーは家を出て海へ向かいました。大英帝国の「塩の専売」に対する抗議活動でした。しかし、この抗議活動を成功に導いた技術が4つありました。鉄道、交通網、電信、電話。これらがなければ、「塩の行進」が大きな民衆のうねりにつながることはなかったでしょう。
1811年3月11日、イギリスで織物関係の機械が集団によって破壊されました。賃金の低下や失業に追い込まれた熟練工たちによるラッダイト運動の始まりです。「労働者はモノではなく時間を売るようになった」「機械や設備が、労働者から価値を吸い取っている」と有識者たちは警鐘を鳴らしました。
そして今、新しい分岐路に我々は立っています。
AI革命後の世界について、世界の知識人たちは「経済・監視・存在論」という3つの軸と、それぞれ「楽観」と「悲観」の6つの視点から語り合っています。
経済面では「AIは補完・知識の民主化をもたらす」という楽観論(David Autor、Erik Brynjolfsson、Ben Thompson、Demis Hassabisなど)と、「格差拡大・行動搾取・仕事不足が進む」という悲観論(Daron Acemoglu、Shoshana Zuboff、Daniel Susskind、John Danaherなど)が対立。
監視・権力面では「法と設計でAIを守り手にできる」という改革派(Helen Nissenbaum、Bruce Schneier、山本龍彦、Mariarosaria Taddeo)と、「AIは権力集中・民主主義侵食の道具になる」という批判派(Kate Crawford、Timnit Gebru、Zeynep Tufekci、Michal Kosinski、Langdon Winner、山口真一)。
存在論面では「人間とAIは協働できる」という楽観論(Stuart Russell、Amanda Askell、Kate Darling、Iason Gabriel、Yoshua Bengio)と、「人間の主体性・判断力が根本から侵食される」という警告(Nick Bostrom、Luciano Floridi、Vincent C. Müller)が交差。
しかし全派に共通するのは「技術は中立ではない」という認識です。
誰が、どんな設計で、どんな制度のもとで使うかによって、結果は全く変わる。
楽観も悲観も、それぞれの角度から同じ事実を見ています。決めるのは、我々です。ただし、先んずれば人を制す。自分の主義を少しでも貫きたいのでしたら、早く動かれた方がいいでしょう。
ま、のんびりサイクリングするのもいいですけどね。ちなみに現代美術館の入館料は500円です。安い!