リンク: 中学、高校の数学教育は何のためにあるのか?へのTakeo Tamashiroさんの意見.
論理の整合性を常に確かめる習慣がつけば、流言に惑わされことなく、自分の頭で考え、判断することができるようになる。 だから義務教育の教科は、誤謬の起こり得ぬ数学と国語に限定してもよいくらいだと私は思っている。 その他の教科は、どれほどの偏見や妄念に満ちているかわかったものではなく、小さい頃から触れさせていると所謂先入見となって、将来自分でものを考える段階において大きな障害となるからだ。
ちきりんさんの下から7割の人のための理科&算数教育 - Chikirinの日記に対する意見ですね。
個人的には半分賛成、半分反対です。
国語と数学が論理の整合性を習慣づけるという意見には賛成です。数学の場合は「公式を暗記する」というチートができてしまうのが問題ですが・・・
個人的には、国語と数学以外の科目でも、論理の整合性を習慣づけることはおこなわれていると思います。
例えば世界史。人と勢力の栄枯盛衰には一定のルールがあります。
例えば古文。文章の意味は文法というルールを通してしか理解できません。
例えば生物。どんな単元であれ、基本的には「原因と結果がある」というルールを外れることはありません。
ただし、18歳というまだ本当に若い段階で世界史のルールに気づくことができるのか。古文のルールに気づくことができるのか。生物のルールに気づくことができるのか。それが進路を決めるのだと思います。
まとめると、高校までの教育が論理の整合性を習慣づけるという意見には賛成です。ただし、教科は国語と数学以外でも良いと思います。