「ゆとり教育は良くなかった」と一般にいわれるが、具体的にどのようなことが悪かったのか?今後増やす予定の「探求授業」(アクティブラーニング)は大丈夫なのか?結局ボトルネックになっているのは何なのか?
「ゆとり教育」のときには「選択科目」がありました。数学、英語、社会、理科などの科目の中から、生徒が自分の好きな科目を選んで勉強します。
私は「選択理科」を担当しました。「野菜を育てる」と聞いてやってきたのは愚連隊のような「座学無理!」な問題児集団でした。そんな連中と毎回畑に出て泥んこになって農業しました。
春はバジルを、秋はチンゲンサイや小松菜を、冬はカブや大根を育てて食べました。
面白かったのは、授業中は授業妨害ばかりする一人の問題児が、葉物野菜の虫取りを毎日とても丁寧にやるのです。
「この子は勉強はできなくても良い農家になるのでは?」
と思ってしまいました。
愛すべき愚連隊たちと農業するのは楽しかったです。
農業は授業よりもシビアです。虫取りを少しでも手を抜くとボロボロに食われてしまいます。昼休みの水やりも欠かせません。
手間と結果が直接結びついているのが問題児たちにとっても大変わかりやすく、「原因があって結果があるんだ」という基本的なことを教えることができたのではないかと思います。
さて、そんな楽しい「選択」の時間も「ゆとりはダメだ!」という世論に一掃されてしまいました。
個人的な意見です。小学校はよく知りませんが、中学校では確かに良くなかったと思います。
なぜかというと、とにかく教員には時間もエネルギーもないので、適当にプリントを配って解かせる「時間消化型」な授業ばかりでした。
「教員の怠慢だ」と言われればそれまでなのですが、毎日生活指導や行事運営などで命を削って働いている先生としては「もっと早く死ねというのか」と言わざるを得ない(本当に)状況でした(私は、転職したあと、お昼にゆっくり昼食を食べることができることに心の底から感動しました)。ボトルネックその1です。
あとは、なんだかんだ言っても先生は公務員であり、安定志向で、ルーチンを回すのが仕事だと思っています(ここは私には辛いところでした)。何か報酬(担当コマ数の軽減など)がなければ、自分のルーチンの外に出て新しい教材を開拓することはないでしょう。ボトルネックその2です。
ボトルネックその3は、教育予算が少ないことです。OECD諸国の中で最低で、教員の忙しさは世界一です。子どもたちから教育を取り上げ、大人の土木工事や医療保険に回しているのが、この国の実態であり、有権者の選択です。
ちなみに教員の負担に比較的余裕のある小学校では、小学校ごとに独自の取り組みができて好評だったという話も聞いています。
今後、「探求型授業」(アクティブラーニング)が増やされることになっています。しかし、内容を現場の先生に任せると同じことが繰り返されるでしょう。教科書と指導書で上手にマニュアル化する必要があります。
最後に、これは「ゼンマイ」という豚の腸です。近所の焼き肉屋で調達してもらいました。
教科書には「腸には柔毛が生えていて吸収しやすくなっている」と書いてありますが、これを見ると一目瞭然です。
ちなみに最初の炎の写真は、選択理科で「粉じん爆発をやりたい」となってやってみた写真です。とにかくいろいろやりましたが、校長には「実験が多すぎると他の学年とつり合わなくなる」と嫌みを言われました。いやー、辛かった。すいません、愚痴です。 *