問題になったのは校歌合唱だった。私の学校の校歌は無伴奏の三部合唱のため難しい。そのため、毎年、校歌合唱の声量は小さく、イマイチだった。そこで教員側では「今年は伴奏をつけよう」ということになった。
ところが、これに卒業生が反発。「無伴奏でやらせてくれ」というのだ。
教員側は会議で検討した。伴奏派の主張は・・・「これまでの反省が生かされない」「教員側が一度決めたものを覆すのは良くない」。無伴奏派の主張は・・・「最後の卒業式なのだから希望を聞いてあげるべき」。結局、3年生を集めて話し合って決めるということで決定は先送りされた。
3年生は「ちゃんと歌ってみせる。やらせてくれ。」と主張した。これが最終決定となった。段取りが変わり、一部の教員は大変だった。
しかしふたを開けてみると、無伴奏の合唱は、これまでにない出来だった。3年生は意地と能力を見せたのだ。
あとから考えると、伴奏を付けるという提案が3年生のやる気を喚起したともいえる。だが、失敗の可能性も当然あった。結果としては絶妙なさじ加減となったのだが、これは賭けだった。賭けに買ったからこそ、成長があったのだ。そして、この賭けこそが、教育者の仕事なのだ。